史跡 新本義民碑(義民四人衆と新本義民騒動) 享保3年(1718)、岡田藩に入会山を接収された備中国下道郡新庄村・本庄村(いずれも今の岡山県総社市)の百姓惣代4人が江戸に出向いて藩主・岡田長救に直訴し、入会地の藩有化と賦役は解消されたものの、4人は飯田屋河原で死罪となりました。この「新... 2023.06.09 史跡
史跡 五社神社(山口吉右衛門と藍玉一揆) 宝暦6年(1756)、徳島藩による藍専売制強化を巡り、阿波国内(今の徳島県)の藍作農家による徳島城下への強訴が計画されますが、密告により未遂に終わりました。この「藍玉一揆」の首謀者として名西郡高原村(今の名西郡石井町)の山口吉右衛門ら5人が... 2023.06.08 史跡
史跡 秀塚神社(重清村秀と重清騒動) 宝暦8年(1758)、阿波国美馬郡重清村(今の徳島県美馬市)組頭の妻・お秀は、村を代表して組頭庄屋の不正を徳島藩家老に直訴しました。結果として組頭庄屋は追放されたものの、お秀も鮎喰河原で打首となりました。村人たちはその墓を「秀塚」として鄭重... 2023.06.07 史跡
史跡 下田隼人翁碑(下田隼人の直訴事件) 江戸時代前期、小田原藩は財政悪化を埋め合わせるため領内の総検地を実施するとともに、新税として麦租を導入しようとしました。万治3年(1660)、相模国足柄上郡関本村(今の神奈川県南足柄市)名主の下田隼人は、小田原藩主・稲葉正則に麦租反対を直訴... 2023.06.06 史跡
史跡 久末義民地蔵(久末義民の門訴事件) 元禄6年(1693)、武蔵国橘樹郡久末村(今の神奈川県川崎市)が領主・佐橋内蔵之助の屋敷に年貢減免の門訴をしたところ、百姓19人が殺害される事件が起こりました。後に年貢は引き下げられましたが、村では犠牲者を供養するため数次にわたって地蔵尊を... 2023.06.06 史跡
史跡 藤尾社(平藤治の義民伝承) 寛政6年(1794)、武蔵国多摩郡高幡村(今の東京都日野市)の平藤治は、困窮百姓のため親類の名主に年貢減免を掛け合い入牢し、釈放前日に毒殺されたと伝わっています。現地には平藤治を祀る「藤尾社」が鎮座しています。 2023.06.06 史跡