義民の史跡藤五郎神社(遠藤藤五郎と三保村越訴) 江戸末期の安政の大地震は農地にも甚大な被害を及ぼしましたが、駿河国有度郡三保村(今の静岡県静岡市清水区)一帯では海岸が隆起して新たな土地を生じたたため、困窮する小前百姓らは三保村の藤五郎(遠藤藤五郎)を代表として、領主である御穂神社神官の太...2023.05.20義民の史跡
義民の史跡義人平野源蔵・竹本庄右衛門顕彰碑(平野源蔵と11か村入会山論) 江戸時代の寛文年間、三河国(今の愛知県)宝飯郡で入会山論が起き、広石村庄屋・平野源蔵と組頭・竹本庄右衛門が地元9か村を代表して幕府の牛久保代官所に直訴しました。罪に問われた平野源蔵と竹本庄右衛門は寛文9年(1669)に打首となりますが、結果...2023.05.25義民の史跡
義民の史跡松木神社(松木庄左衛門と小浜藩領承応元年一揆) 小浜藩領では庄屋らが大豆年貢の引下げを繰り返し訴願するものの聞き入れられず、ついに慶安元年(1648)、若狭国遠敷郡新道村(今の福井県三方上中郡若狭町)庄屋・松木庄左衛門をはじめとする惣代が捕縛されました。拷問に屈しなかった庄左衛門は承応元...2023.05.17義民の史跡
義民の史跡甚三郎の供養石仏(杉箸村甚三郎と敦賀打ちこわし一揆) 天明4年(1784)、越前国小浜藩領の敦賀町(今の福井県敦賀市)で米価高騰に反発する打ちこわしが発生し、頭取として敦賀郡刀根村枝郷(今の敦賀市)甚三郎らが処刑されました。しかし、安値米の販売や施粥などが進んだことから、密かに供養のための地蔵...2023.05.16義民の史跡
義民の史跡赤萩村一揆頭取供養碑(橋本弥太夫と今泉打ちこわし) 明和5年(1768)、越前国(今の福井県)で米価高騰の折に米を移出しようとした船主の館が打ちこわされる「今泉打ちこわし」が発生しました。頭取として南条郡赤萩村(今の南条郡南越前町)の橋本弥太夫ら4人が処刑されたことから、村では4人連名の墓碑...2023.05.22義民の史跡
義民の史跡七稲地蔵(能美屋佐吉と安政の泣き一揆) 安政5年(1858)、米価高騰に苦しむ町民たちが卯辰山に登り、金沢城に向かって「ひもじい」などと泣き叫ぶ「安政の泣き一揆」が起こり、これが加賀・越中・能登3国にわたる「三州大一揆」の発端となりました。後に能美屋佐吉ら頭取5人が処刑されたため...2023.05.17義民の史跡
義民の史跡宝暦杉(宝暦義民と源五騒動) 宝暦6年(1756)、物価高と飢饉にあえぐ能登国宇出津組(今の石川県鳳珠郡能登町)の百姓が十村役・源五宅を打ちこわす「源五騒動」が起こり、中斉村甚左衛門ら7人が罪を負い獄死しました。宝暦8年(1758)にも宇出津組で年貢米の不足が摘発され寺...2023.05.20義民の史跡
義民の史跡憲盛法印大供養塔(遍照坊智専と佐渡明和一揆) 明和4年(1767)、風雨と虫害のため不作となった佐渡国(今の新潟県佐渡市)では、佐渡代官所の苛政に反発した農民らが一揆を企てたものの未遂に終わりました。この「佐渡明和一揆」では、年貢の延納などの要求が認められたものの、願書をしたためた遍照...2023.05.17義民の史跡
義民の史跡森武七墓碑(森武七と郡内騒動) 天保7年(1836)、米価高騰に悩む甲斐国(今の山梨県)郡内地方の百姓らが、下和田村(今の大月市)の森武七を頭取に、米商人から押借をしようと決起しましたが、途中で無宿人が参加するなどして統制が乱れ、甲斐全土にわたる打ちこわしへと発展しました...2023.05.20義民の史跡
義民の史跡明和義人顕彰之碑(涌井藤四郎と新潟明和騒動) 明和5年(1768)、越後国新潟町(今の新潟県新潟市)で長岡藩が賦課した御用金に反対する大規模な打ちこわしが発生し、これを契機に町中惣代の湧井藤四郎らを中心とする住民自治が生まれました。この「新潟明和騒動」では最終的に藤四郎らが獄門となるも...2023.05.18義民の史跡
義民の史跡清兵衛地蔵(石上清兵衛と高柳村訴願) 元禄5年(1692)、駿河国志太郡高柳村(今の静岡県藤枝市)の庄屋・石上清兵衛は、数年来の不作を理由として、田中藩の代官に年貢減免を訴願しました。代官に首と引換えにと脅された清兵衛は動じることなく、元禄5年(1692)3月4日に茶屋河原で打...2023.05.14義民の史跡
義民の史跡首切り地蔵(増田五郎右衛門と蓑着一揆) 文化13年(1816)、田中藩領の駿河国志太郡細島村(今の静岡県島田市)は風災で不作となり、農民たちが藤枝宿に集まり不穏な状況の中、名主の増田五郎右衛門は藩主への直訴に及びました。藩は年貢減免を認める一方、多数の農民を捕縛して首謀者探しを始...2023.05.17義民の史跡