本間太郎右衛門供養塔(本間太郎右衛門と佐渡寛延一揆)

本間太郎右衛門供養塔 義民の史跡
奉行所の悪政を訴え処刑された元名主の供養塔

寛延3年(1750)、佐渡国(今の新潟県佐渡市)雑太郡辰巳村百姓・本間太郎右衛門は江戸に出向き、佐渡奉行所の悪政を掲げた訴状を勘定奉行に提出しました。結果として佐渡奉行は免職となったものの、太郎右衛門も死罪となったため、その菩提を弔うための供養塔が太郎右衛門の屋敷跡に建てられました。

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義民伝承の内容と背景

寛延年間、佐渡奉行所は金山の生産量の減少を年貢で補おうとして毎年のように増税を行い、たまりかねた名主・百姓ら数百人が年貢減免を求めて国仲に出張中の役人を取り囲む騒ぎが起こります。
奉行所では名主20人ほどを投獄して威圧することで年貢増加にしぶしぶ同意させますが、名主から事の顛末を聞いた村人たちの大きな怒りを買いました。

そこで佐渡国雑太郡辰巳村の太郎右衛門が奉行所の悪政28か条を掲げた訴状を作成し、これに島内200か村以上が調印の上、一国惣代に選ばれた5人が江戸に赴き、寛延3年(1750)10月7日に訴状を勘定奉行に提出しました。
さらに翌年2月にも太郎右衛門をはじめとする一国惣代21人連署で佐渡奉行に訴状を提出しています。
本間太郎右衛門は、かつて山田村の名主として国府川流域で荒地を開墾し、新村の辰巳村を立ててそこに移住した功績の持主です。

宝暦2年(1752)7月、佐渡奉行所において判決が言い渡され、役人側では奉行の鈴木九十郎が免職となったほか、斬罪1人・死罪2人・遠島7人を含む処罰がありました。
農民側は太郎右衛門と椎泊村弥次右衛門が死罪、その他が遠島・追放・過料・急度叱りなどとなっています。

この「佐渡寛延一揆」により百姓の訴えは一部認められ、これまで村方が負担していた役人の出張費などが廃止となったものの、年貢についての減免はありませんでした。

本間太郎右衛門の屋敷跡には「南無阿弥陀仏」の六字名号や法名・俗名を刻む供養塔が建てられましたが、昭和42年(1967)に佐渡博物館に移転され、義民碑「殉国碑記」とともに並んでいます。

参考文献

『佐和田町史』通史編2(佐和田町史編さん委員会編 佐和田町教育委員会、1991年)
『越後と佐渡の一揆』(新潟県庶民史研究会編 新潟日報事業社出版部、1985年)
『佐渡路』(佐藤利夫・石瀬佳弘編 羽田村研究会、1973年)

本間太郎右衛門供養塔へのアクセス

名称

本間太郎右衛門供養塔

場所

新潟県佐渡市八幡2041番地

備考

両津港から車で30分。太郎右衛門旧宅にあったものが移設され、現在は太郎右衛門を讃える明治時代の「殉国碑記」とともに佐渡博物館入口にある。

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