間沢村三霊供養碑(白岩義民と白岩一揆)

間沢村三霊供養碑 史跡
「白岩目安」で知られる義民たちの墓
史跡

寛永10年(1633)、出羽国村山郡白岩郷(今の山形県寒河江市・西村山郡西川町)の百姓が「白岩目安」をもって旗本・酒井忠重の苛政を幕府に直訴し、後に忠重は改易されて代官支配となりました。寛永15年(1638)、再び一揆が起きるものの、山形藩主・保科正之の計略で百姓36人が磔刑に処せられました。地元にはこの「白岩一揆」の犠牲者の供養塔が今も残されています。

間沢村三霊供養碑へのアクセス

名称

間沢村三霊供養碑

場所

山形県山形県西村山郡西川町大字間沢1171

備考

山形自動車道「西川インターチェンジ」から車で5分。国道112号沿いの「セブンイレブン西川町間沢店」がある交差点角を北に曲がると東泉寺があります。東泉寺の本堂裏手の墓地の一角に小さな供養塔があり、西川町教育委員会の史跡案内板が立っています。

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白岩義民の墓

義民伝承の内容と背景

元和8年(1622)、「最上騒動」などのお家騒動もあって、山形藩57万石の最上義俊が改易になると、その領地は分割されて、出羽国村山郡白岩郷8千石は、庄内藩主・酒井忠勝の弟にあたる旗本・酒井忠重に委ねられます。

しかし、酒井忠重の苛烈な支配に耐えかねた領民は、寛永10年(1633)、俗に「白岩状」「白岩目安」と呼ばれる非法23か条を記した訴状をもって幕府に直訴します。
このなかには、百姓を相手に米などの押売りや高利貸しをすること、百姓の女房を城に召し出して美醜で選んで留め置くこと、人馬を不当に徴発すること、苛政の結果として白岩で餓死者・身売りの者を1,454人も出したこと、などが列挙されています(ただし、伝本によって内容に違いがある)。

これを「白岩一揆」と呼び、寛永15年(1638)には忠重も改易されて庄内藩に預けられ、領地は幕府直轄として代官・小林十郎左衛門の支配に代わりますが、代官支配も以前とほとんど変わらなかったため、その3か月後、領民はまたも一揆を起こします。

このとき、代官は山形藩主・保科正之に対応を相談し、まず城代の保科民部が白岩に派遣されて、山形藩主が訴えを聞くからと農民を宥めて、総代らを山形城下まで出向かせます。

しかし、これは保科正之の計略であって、山形に直訴に訪れた36人は残らず捕縛され、その後幕府老中・酒井忠勝の裁定を待つことなく、保科正之の独断で、寛永15年(1638)年7月に36人全員が山形城下の広河原で磔刑に処せられたといいます。

その後、地元では彼ら処刑された白岩義民のための供養塔がつくられ、今でも山形県西村山郡西川町の東泉寺、山形県寒河江市の誓願寺の2か所に残されています。

東泉寺の「間沢村三霊供養碑」の2基は、寛文10年(1670)の三十三回忌にあたって、間沢村出身3名の法名である月山永公、常秀道眼、空假是心を表面に刻んだものです。
上部に縄目のような2本線がありますが、これは一揆を首謀した罪人であることを縄目をもって明示し、ようやく役人から許しを得たものという言伝えがあり、現在は山形県西川町の指定文化財となっています。

誓願寺の「白岩義民の墓」は、笠石型の大きなもので、元禄年間の建立と推定されており、施主として「白岩八千石大庄屋和田庄左エ門 惣名主総百姓」の名がみられます。
正面には「南無阿弥陀仏」と大書され、その脇に先の月山栄公をはじめとする法名が38人分(山形で処刑された36人のほかに2人の犠牲者がいたと考えられている)刻まれており、現在は山形県寒河江市の史跡として指定されています。

参考文献

リンク先のAmazonのページ下部に書誌情報(ISBN・著者・発行年・出版社など)があります。リンクなしは稀覯本や私家本ですが、国立国会図書館で借りられる場合があります。>[参考文献が見つからない場合には]

『寛永白岩一揆』(渡辺為夫 渡辺為夫、1986年)
『近世民衆の教育と政治参加』(八鍬友広 校倉書房、2001年)
『出羽百姓一揆録』(山形県経済部 山形県経済部、1935年)
『山形市史』中巻 近世編(山形市市史編さん委員会・山形市市史編集委員会編 臨川書店、1987年)

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