天保大一揆発祥之地碑(吉部村弥右衛門と防長大一揆)

天保大一揆発祥之地碑 義民の史跡
藩政改革の引き金となった大一揆の震源地

天保2年(1831)、長州藩の専売制強化などへの不満から、周防・長門(今の山口県)両国の約10万人が参加する全藩一揆「防長大一揆」が発生し、各地の庄屋宅などを打ちこわして回りました。一揆は藩兵により鎮圧され、吉部村畔頭・片山弥右衛門らが誅罰(死刑)となりました。今日でも県内には弥右衛門らを供養する「佐波木地蔵」などの遺跡が残っています。

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義民伝承の内容と背景

文政12年(1829)、長州藩では産物会所を設けて専売制を強化したため、専売制によって利益を得た特権商人と商品作物を安値で買い叩かれる農民との間の軋轢が深まりました。

天保2年(1831)7月26日、たまたま犬皮の敷物を敷いて駕籠に乗っていた御用商人・石見屋嘉右衛門が周防国吉敷郡小鯖村(今の山口市)の皮番所で農民に見咎められる事件が起こりました。当時、稲穂が出る時期に動物の皮を持ち込むと風水害が起きて作柄が悪くなるとの俗信があったためです。

この商人と農民との衝突を契機に、またたく間に周防・長州一帯に広がる大規模な一揆が沸き起こり、各地の御内用方(庄屋)などが打ちこわされました。参加者の数は実に10万人以上といわれています。

同じ頃、奥阿武宰判(代官の管轄区域)の長門国阿武郡吉部村(今の萩市)では、蔵置籾の一部が行方不明となっているのが見つかり、蔵の管理を巡って湯ノ口畔頭の弥右衛門が朝鳥畔頭の幾左衛門の不正を追及する騒ぎが起こりました。実際には百姓・太郎兵衛が自分の籾と他人の籾を取り違えて持ち帰ったのが原因でしたが、激昂した百姓たちは聞く耳を持たず、8月22日夜に吉部八幡宮を出て、庄屋宅などを打ちこわしながら江崎村(今の萩市)や徳佐村(今の山口市)にまで押し出しました。

藩は一揆が沈静化すると関与した者の捕縛を始め、全体では10人が誅伐(死刑)となり、その他多くの百姓が処罰を受けました。奥阿武宰判では吉部村弥右衛門と助右衛門が天保3年(1832)12月26日に大屋刑場で誅伐、首は吉部で獄門に懸けられ、永遠島の半右衛門は牢死しました。村人たちは後に「佐波木地蔵」を建てて弥右衛門ら3人の菩提を弔いました。

参考文献

『むつみ村史』(むつみ村教育委員会編 むつみ村、1985年)
『毛利十一代史』第41冊(大田報助編 大田報助、1910年)

天保大一揆発祥之地碑へのアクセス

名称

天保大一揆発祥之地碑

場所

山口県山口市下小鯖地内

備考

山陽自動車道「防府東インターチェンジ」から車で10分、国道262号沿いのかつての皮番所跡に建てられている。

関連する他の史跡

佐波木地蔵
奥阿武宰判勘場
吉部八幡宮
大屋刑場跡

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