義人を祀る霊地(当代屋与次兵衛と輪島騒動)

義人を祀る霊地 義民の史跡
打ちこわしを主導した侠客らを祀る地蔵尊

安政5年(1858)、米価高騰を受けて能登国輪島町(今の石川県輪島市)の米屋や役人宅が打ちこわされる「輪島騒動」が起こり、米価統制や安値米の販売で沈静化が図られました。この一揆では頭取の当代屋与次兵衛らが獄門となったため、彼らを供養するための地蔵尊が建てられ、現在は「義人を祀る霊地」として輪島市の指定文化財となっています。

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義民伝承の内容と背景

安政5年(1858)は加賀地方を襲った大地震や長雨による凶作、それに加えて米商人による買占めもあいまって米価が高騰し、百姓の困窮が深まりました。7月には女・子供を含む領民2千人が金沢城を見下ろす卯辰山に登り、殿様に聞こえるように「ひだるき」などと大声で泣き叫ぶ「安政の泣き一揆」が起こりますが、これを契機に加賀・越中・能登3国に一揆が波及し、「国初以来弐百五拾年之間未曾有之変事」となります。

安政5年(1858)8月2日夜、能登国鳳志郡河井町(今の輪島市)にも多数の貧民が押し寄せ、町役人宅など7、8軒が打ちこわしの被害に遭いました。これを地名をとって「輪島騒動」「河井騒動」などと呼びますが、当時の記録には「米屋市郎兵衛常に被にくま(にくまれ)、批屋(へぎや)ニ而役人ニ而も無之候得とも、つぶし仲間に候」と書かれており、日頃から貧民の恨みを買っていた豪商などもこの機に乗じて打ちこわしの対象にされた様子が窺えます。

この当時、海辺防備のため輪島の地には武士が常駐していたため、ただちに上野陣屋の陣代・生駒勘左衛門らが出動して騒動は鎮圧されました。8月7日には郡奉行から十村(他藩でいう大庄屋)に宛てて、白米の販売価格を1升当たり100文以上にしないよう命令が出され、8月10日には鳳至町(今の輪島市)の富商5人が共同して1升当たり85文の安価米を販売し、140人の貧民がこれを購入しています。

こうして米価高騰には一定の歯止めがかかりましたが、同時に打ちこわしを扇動した首謀者の追及もはじまり、河井町頭振の当代屋与次兵衛、宅田村(今の輪島市)百姓源右弟清蔵、河井町頭振井出新九郎弟井出吉兵衛の3人が捕らえられ、安政6年(1859)9月27日に加賀藩の公事場において刎首された後、輪島に運ばれて三昧(墓地)に梟首されました。このうち享年38歳の当代屋与次兵衛は、「虎」を通称し平素から任侠の気質に厚い博徒であったといいます。

後年、河井町の共同墓地の中には処刑された3人を供養する3体の地蔵尊が子孫の手により建てられ、現在は「義人を祀る霊地」として輪島市の指定文化財となっています。

参考文献

『輪島町史』(若林喜三郎編 輪島町、1954年)
『加賀藩農政史の研究』下(若林喜三郎著 吉川弘文館、1972年)
『輪島市史』第7巻(通史・民俗編)(輪島市史編纂専門委員会編 輪島市、1976年)

義人を祀る霊地へのアクセス

名称

義人を祀る霊地

場所

石川県輪島市河井町14部95番地

備考

のと里山海道「のと里山空港インターチェンジ」から車で20分。一本松公園の麓、太子院向かいの墓地にある。

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