人頭税石(蒲戸砂川と多良間騒動)

義民の史跡
写真:ぱくたそ(www.pakutaso.com)

1854年、琉球国の多良間島(今の沖縄県宮古郡多良間村)では役人が不正に税を取り立てたことから、蒲戸砂川(かまどうるか)ら5人が王府に直訴状を提出する「多良間騒動」が起こりました。結果として役人は処罰され、命を惜しまず島民の苦難を救った5人には官位が授けられています。この騒動と直接的な関係はありませんが、隣接する宮古島には、子供が成長して身長が石の高さを超えると人頭税を賦課されたという「人頭税石」が残っています。

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義民伝承の内容と背景

近世には日本全国で百姓一揆が勃発し、その犠牲者が義民として顕彰される事例が数多くみられますが、沖縄地方については記録に残るものがほとんどなく、強いていえば次のような事例が挙げられます。

  • 『川充氏家譜』によれば、1678年、人頭税に反対して騒動を起こした「多良間島族党」が親泊筑登之親雲上・平良親雲上らによって捕縛された。
  • 1854年、多良間島の島民5人が役人の不正を王府に直訴する「多良間騒動」(又は「アコーメ事件」「アカウメー事件」)が起こり、事実が判明して役人が処分された。
  • 1860年、琉球は小国で重税に困憊しているので早く大和に帰属させて島民を救ってほしいという趣旨の直訴状を薩摩商人に託して薩摩在番奉行所に届けようとした「落書事件」が発覚し、首謀者として島尻与人(村役人)だった波平恵教が捕らえられてパイナガマで処刑された。

このうち「多良間騒動(アコーメ事件)」が起きるまでの経緯ですが、1849年には農民から割増しに徴税して私服を肥やしていた宮古島の役人らが惣横目・本村朝祥に摘発される「割重穀(わりかさみこく)事件」が発生したほか、1852年の「子年大飢饉」、1854年の大風による被害といった自然災害も相次ぐ状況でした。

このような中で、多良間島ではなおも砂川大主(うふぬし)らの役人が本来よりも余計に徴税する不正を働いていたため、1854年(清の咸豊4年、日本の嘉永7年)、蒲戸砂川・麻加路仲筋・三戸狩俣・山戸来間・仁牛仲筋の5人は島のトカハナ山中で謀議を凝らし、筆跡を隠すため足の指に筆を挟んで訴状をしたためると、時期を見計らって小舟に乗って島を脱出し、宮古島に置かれた蔵元(地方政庁)の頭越しに首里王府への直訴を企てました。

離島の多良間島から首里城までは直線距離で350キロほども離れていましたが、5人は出港してから8日目にしてようやく沖縄本島の金武の浜で漁師に発見され、王府に直訴状を提出することができました。

翌1855年3月、訴状を受けた王府では松川里之子親雲上(さとぅぬしぺーちん)朝堯らを多良間島に派遣して取り調べたところ、役人の不正が明らかとなったため、役人は法にしたがって処罰されました。

いっぽうで琉球国の正史『球陽』には、「不惜性命、跋渉遠來、以拯島民之苦」(性命を惜しまず、跋渉遠来して、以て島民の苦を拯(すく)ふ)として、直訴をした蒲戸砂川ら5人すべてに「筑登之座敷(ちくどぅんざしき)」の位階を賜り、その労苦をねぎらったと書かれています。

もっとも、5人のうち仁牛仲筋を除く4人は大主と呼ばれるようになってから横暴な振舞いがあったとして百姓(平民)に訴えられ、来島した穿鑿方総横目・狩俣首里大屋子や友利首里大屋子らの取調べの後、1858年には来間島への遠島(流罪)に処せられています。

現在の多良間島には、仲筋集落の用水池の西に「多良間騒動」で蒲戸砂川らが謀議したトカハナの山林が広がるだけですが、多良間島に隣接する宮古島には、「人頭税石(にんとうぜいせき)」と呼ばれる石柱が残っています。

当時の琉球王国では、15歳から50歳までの男女に穀物や反布の貢納を割り当てる「人頭税」がありましたが、実質的に王府と薩摩藩への二重の負担となっていました。

民俗学者の柳田国男は、『海南小記』の中に「少年を此傍に連れて来て背丈を検し、石より高く為って居たら人頭税を課し始めたものだと伝へて居る」と記し、過酷な人頭税制度の様子を伝えています。

ただし、戸籍が整備されているのに身長で貢納者を決める必要は乏しいことから、仲松弥秀はニライ神への御通し(遥拝)標石と、黒島為一は天空上の物体を計測するための石(星見石)と推測しています。

参考文献

『平良市史』第一巻通史編Ⅰ(平良市史編さん委員会編 平良市役所、1979年)
『村誌たらま島-孤島の民俗と歴史』(多良間村誌編纂委員会編 新星図書、1973年)
『沖縄県史』別巻(沖縄県教育委員会編 沖縄県教育委員会、1977年)
『球陽』全 附巻三巻(鄭秉哲編・桑江克英訳註 球陽刊行会、1969年)
『海南小記』(柳田国男 創元社、1940年)

人頭税石へのアクセス

名称

人頭税石

場所

沖縄県宮古島市平良荷川取地内

備考

「人頭税石」は、平良港やライフマンション3近くの公道沿いにあり、入口に「人頭税石 Nintozeiseki」の道路標識が、石の脇に解説板が建てられています。ただし、この「人頭税石」の伝承は史実とは異なるという疑問が提起されています。

この史跡については現地での写真撮影が未了となっています。

参考文献のうちリンクを掲げたものについては、通常、リンク先Amazonページ下部に書誌情報(ISBN・著者・発行年・出版社など)が記載されています。リンクなしは稀覯本や私家本ですが、国立国会図書館で閲覧できる場合があります。>[参考文献が見つからない場合には]