さいの木神社(西尾六右衛門と三庄屋切腹伝承)

さいの木神社 義民の史跡
中島大水道を開削した3庄屋を祀る神社

延宝6年(1678)、摂津国山口村(今の大阪府大阪市)の西尾六右衛門ら3庄屋は、西中島一帯での水害解消のため、幕府に無断で「中島大水道」を開削しました。彼らは竣工後に無断工事の責を負って切腹したことから、供養のために小祠が建てられ、これが今の「さいの木神社」の起源と伝わっています。

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義民伝承の内容と背景

江戸時代前期、摂津国の北中島一帯は、淀川をはじめとする河川の氾濫に悩まされており、田畑を守るために排水路を建設することが不可欠でした。

西成郡山口村庄屋の西尾六右衛門、北大道村庄屋の沢田久左衛門、新家村庄屋の一柳太郎兵衛(いずれも今の大阪市)の3人は、延宝2年(1674)、北中島一帯の惣代として幕府に治水工事を訴願し、延宝5年(1677)、費用を百姓が負担する「百姓普請」の条件で幕府の許可を獲得しました。

ところが、3庄屋による資金援助の要求に心証を害した幕府が許可を取り消してしまったため、延宝6年(1678)3月11日、3庄屋は幕府に無許可のまま工事を強行し、わずか28日間で延長約9.5キロメートルにも及ぶ「中島大水道」を完成させました。

無許可工事の責任を問われた西尾六右衛門ら3庄屋は、同年4月9日、山口村はずれの細目木(さいのき)で切腹して果てたため、後にその場所に供養のための小祠が営まれ、現在の「さいの木神社」になったと伝えられています。

ただし、当時の史料を確認すると、切腹したはずの人物がその後も存命していたり、人物の名前が文書により異なっていたりするところから、庄屋切腹伝説は史実ではないとする説(『大阪の歴史』)もあります。

参考文献

『百姓普請の中島大水道』(大阪市東淀川農業協同組合二十五周年記念事業誌委員会編 大阪市東淀川農業協同組合、1974年)
『大阪の歴史』22(大阪市史編纂所編 大阪史料調査会、1987年)
『東淀川区史』(東淀川区史編集委員会編 市民日報社、1987年)

さいの木神社へのアクセス

名称

さいの木神社

場所

大阪府大阪市淀川区西中島7丁目7番街区

備考

JR・大阪メトロ「新大阪駅」から徒歩3分。駅至近の「新大阪ビル西館」脇にある小さな神社。専用駐車場はないので、マイカーの場合は付近の有料駐車場を利用する。

関連する他の史跡

西尾六右衛門の墓

参考文献のうちリンクを掲げたものについては、通常、リンク先Amazonページ下部に書誌情報(ISBN・著者・発行年・出版社など)が記載されています。リンクなしは稀覯本や私家本ですが、国立国会図書館で閲覧できる場合があります。>[参考文献が見つからない場合には]