富山

義民の史跡

漁民義人塚(佐賀野屋久右衛門とバンドリ一揆)

享保元年(1716)、越中国放生津町(今の富山県射水市)では加賀藩により特権を認められた「六軒問屋」に対する反発が高まり...
義民の史跡

和田の佐助顕彰碑(和田佐助の義民伝承)

万治3年(1660)、越中国砺波郡佐野村(今の富山県高岡市)で和田野の町建てを行い、その肝煎となっていた佐助は、困窮農民...
義民の史跡

北市騒動供養塔(北市村源右衛門と北市騒動)

宝暦7年(1757)、凶作による米価高騰を機に越中国城端町(今の富山県南砺市)の米屋が打ちこわされる「北市騒動」が起こり...
義民の史跡

安政義人慰霊之碑(長崎村茂右衛門騒動)

安政5年(1858)、加賀藩領内の米価高騰を理由に、山間部の越中国砺波郡長崎村(今の富山県南砺市)をはじめとする五箇山地...
義民の史跡

伝蔵地蔵(眼目屋与左衛門の義民伝承)

江戸時代、越中国新川郡東水橋村(今の富山県富山市)の米商人・眼目屋与左衛門が飢饉の際に給人蔵を勝手に開放して米を分け与え...
義民の史跡

栂野彦八顕彰碑(栂野彦八の義民伝承)

文化3年(1806)、越中国婦負郡四方町(今の富山県富山市)の町年寄・栂野彦八は、漁民による行商を禁じた郡奉行を諫めるた...
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