九州・沖縄地方

義民の史跡

人頭税石(蒲戸砂川と多良間騒動)

1854年、琉球国の多良間島(今の沖縄県宮古郡多良間村)では役人が不正に税を取り立てたことから、蒲戸砂川(かまどうるか)...
義民の史跡

犬田布騒動記念碑(新山為盛と犬田布騒動)

江戸時代、薩摩藩の支配する奄美群島の徳之島では、特産物である黒糖の専売制が強化され、密売は死罪にあたる大罪とされていまし...
義民の史跡

心諒尼公園(小山弥兵衛と生野一揆)

元文3年(1738)、凶作が続く但馬国(今の兵庫県)生野代官所支配の村々では、年貢減免や夫食拝借を求めて約3千人が代官所...
義民の史跡

六之神社(浦庄屋佐兵衛と津屋崎・勝浦漁場相論)

隣浦との漁場争いが絶えなかった筑前国宗像郡津屋崎村(いまの福岡県福津市)では、浦庄屋・佐兵衛(左兵衛)ら6人が福岡藩に直...
義民の史跡

冨田才治碑(冨田才治と虹の松原一揆)

明和8年(1771)、唐津藩の農漁民2万5千人が天領との境界にあたる虹の松原に集結し、新税撤回などを要求する「虹の松原一...
義民の史跡

源三神社(岩本源三と可須村越訴)

江戸時代の壱岐島は松浦藩が支配していましたが、役人が年貢を計量する枡を操作して蓄財したり、農民に田地を割り当てる地割で不...
義民の史跡

法界平等碑(永田隆三郎と弘化大一揆)

弘化4年(1847)、肥後国(今の熊本県)天草地方で一種の徳政令に当たる「百姓相続方仕法」の延長を巡って1万5千人規模の...
義民の史跡

山陰百姓一揆供養塔(畝原覚之丞と山陰一揆)

元禄3年(1690)、郡代の苛政に耐えかねた日向国臼杵郡山陰村(今の宮崎県日向市)の百姓たちが延岡藩領から高鍋藩領へと逃...
義民の史跡

杢右衛門の供養塔(因尾村杢右衛門と文化一揆)

文化9年(1812)、重税に苦しむ豊後国海部郡因尾(いんび)村(今の大分県佐伯市)ほかの百姓4千人が、「願望拾ヶ条」を掲...
義民の史跡

馬原供養塔(穴井六郎右衛門と馬原騒動)

延享3年(1746)、豊後国日田郡馬原(まばる)村(今の大分県日田市)庄屋・穴井六郎右衛門ら3人は、幕府日田代官・岡田庄...
義民の史跡

天草四郎時貞の墓碑(益田時貞と島原の乱)

寛永14年(1637)、過酷な徴税とキリシタン迫害に耐えかねた島原・天草の民衆3万7千人が益田四郎を総大将に蜂起し、原城...
義民の史跡

八竜天神社(高松八郎兵衛と久留米藩大一揆)

宝暦4年(1754)、久留米藩の人別銀賦課に端を発して、数万人規模の百姓が参加する全藩一揆「久留米藩大一揆」が勃発します...