芦ノ湖水神社(友野与右衛門の義民伝承)

芦ノ湖水神社 義民の史跡
困難な用水工事を成し遂げた元締らを祀る神社

駿河国駿東郡深良村(今の静岡県裾野市)周辺の村々では水不足が続いていたため、元締・友野与右衛門らの指導のもと、芦ノ湖を水源とした箱根用水開削の大工事が行われ、現在もその水は大地を潤しています。しかし、友野与右衛門らはその後幕府と対立して打首になったとも伝えられており、彼らを祀る「芦ノ湖水神社」には、供養のために正徳元年(1711)に造立された石碑や石仏が残ります。

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義民伝承の内容と背景

江戸時代前期、駿河国駿東郡深良村では水不足による旱魃に悩まされており、庄屋の大庭源之丞は江戸浅草の商人である友野与右衛門らの協力を得て、芦ノ湖から灌漑用水を引くことを思い立ちます。

寛文3年(1663)2月、友野与右衛門・宮崎市兵衛・松村浄真の3人は芦ノ湖を御手洗池とする箱根神社に立願状を奉納すると、箱根神社別当・快長とともに幕府老中らへの働きかけを行い、寛文6年(1666)にようやく幕府及び小田原藩から用水開削の許可を得ることができました。

友野与右衛門らを元締として、同年8月に箱根山を打ち抜く全長1,280メートルのトンネル工事が芦ノ湖取水口と深良村の2か所で始まり、4年後の寛文10年(1670)2月に無事貫通しました。湖尻峠の下に当たる結合点ではわずか1mの誤差しかなく、当時の土木工事の水準の高さが窺えます。さらに田畑を潤すために水路や堰を整備し、「深良用水」の全体が完成するのは翌寛文11年(1671)のことです。

その後の与右衛門の足取りには謎が多く、7,335両もの工事費を投じた深良用水の経営を巡って幕府と対立し、鈴ヶ森刑場で打首になったという言伝えもあります。

正徳元年(1711)、地域の恩人である友野与右衛門らの元締を祀る「元〆水仁碑」や石仏が元締屋敷のあった駿東郡上土狩村(今の駿東郡長泉町)に造立され、現在も「芦ノ湖水神社」の社宝として大切に保管されています。

参考文献

『箱根用水史』(佐藤隆 佐藤隆、1983年)
『裾野市史』第8巻(裾野市史編さん専門委員会編 裾野市、2000年)

芦ノ湖水神社へのアクセス

名称

芦ノ湖水神社

場所

静岡県駿東郡長泉町上土狩618番地の2

備考

伊豆縦貫自動車道「長泉インターチェンジ」から車で5分。御殿場線の線路に近い住宅密集地にある。社宝は例大祭(例年8月1日)の日のみの公開。

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