「た」ではじまる義民

天保義民メモリアルパーク
このページは名前の読みが「た」行ではじまる義民を紹介しています。

大神宮義民七人様 旗本の河野三左衛門支配の下で年貢増徴や山林独占が行われたため、天和2年(1682)に老中に越訴、河野家の工作で敗訴して処刑された7名をいう。過去帳などから実在が判明しているが、江戸時代の文化年間に造立された供養塔が大正時代に発見され、館山市指定史跡とされている。 

大神宮義民七人様の供養碑(大神宮義民七人様と大神宮村越訴)
天和2年(1682)、安房国安房郡大神宮村(今の千葉県館山市)川坂の名主・小柴三郎左衛門らが旗本・河野三左衛門の苛政を幕...

平藤治 江戸後期の武蔵国多摩郡高幡村(今の東京都日野市)の人。重税に困窮する農民を見て年貢減免を名主に掛け合うものの密告で捕らえられ、伝馬町牢屋敷に投獄される。本来は釈放されるところを差入れの毒まんじゅうを食べて亡くなり、その後村で不吉なことが起こったため藤尾社に祀ったという。 

藤尾社(平藤治の義民伝承)
寛政6年(1794)、武蔵国多摩郡高幡村(今の東京都日野市)の平藤治は、困窮百姓のため親類の名主に年貢減免を掛け合い入牢...

高足村源吉 江戸時代後期の三河国渥美郡高足村(今の愛知県豊橋市)の庄屋。吉田藩に対して田租免除の嘆願を行い死罪となるが、赦されて程なく病没した。郷土の義人として愛知県豊橋市の円通寺に頌徳碑が建つ。 

義人庄屋源吉頌徳碑(高足村源吉の義民伝承)
三河国渥美郡高足村(今の愛知県豊橋市)庄屋・源吉は吉田藩に年貢減免をたびたび嘆願し、安永3年(1774)に要求は認められ...

高梨利右衛門 江戸前期の出羽国置賜郡屋代郷二井宿村(今の山形県高畠町)の肝煎。末期養子の代償に石高を半減された米沢藩上杉家は、預地の屋代郷から激しく収奪を行ったため、寛文6年(1666)高梨利右衛門が藩政批判と幕府直轄地編入を求める「信夫目安」(寛文目安)を幕府に提出する。ために越訴の罪で磔刑に処せられたが、文政年間に徳を讃える「大酬恩碑」が建てられた。 

大酬恩碑(高梨利右衛門と信夫⽬安事件)
寛文6年(1666)、末期養子で領地を半減された米沢藩が預地の出羽国屋代郷(今の山形県東置賜郡高畠町・米沢市)で激しい収...

高橋源助 江戸時代前期の越後国曽根組割元庄屋。干魃に苦しむ曽根村(今の新潟県新潟市)のため用水路開削を長岡藩に願い出て天和元年(1681)に完工するものの、反対者が板で樋管をせき止める妨害工作をしたため通水せず打首となった。源助の首が水中から板をくわえて浮かび上がったという伝説がある。 

高橋源助の墓(高橋源助と首賭けの筒)
天和元年(1681)、旱害に苦しむ村人のために越後国(今の新潟県)曽根組割元庄屋・高橋源助が用水路を開削したものの、反対...

高橋安之丞 江戸時代前期の土佐国吾川郡上八川村(今の高知県吾川郡いの町)の里正(庄屋)。新田開発や楮・茶の栽培を広め、貞享の飢饉に際して年貢減免を土佐藩に嘆願するが、逆に讒訴に遭い処刑された。 

若宮八幡宮(高橋安之丞と安之丞直訴事件)
江戸時代の貞享年間、土佐国吾川郡上八川村(今の高知県吾川郡いの町)で飢饉が起こり、里正(庄屋)の高橋安之丞が土佐藩に年貢...

高松八郎兵衛 江戸時代中期の筑後国御原郡井上組(今の福岡県小郡市)の大庄屋。宝暦4年(1754)、久留米藩の新税に反対して起きた全藩一揆「久留米藩大一揆」の責を負い、大庄屋によるくじ引きに負けて処刑されたという。 

八竜天神社(高松八郎兵衛と久留米藩大一揆)
宝暦4年(1754)、久留米藩の人別銀賦課に端を発して、数万人規模の百姓が参加する全藩一揆「久留米藩大一揆」が勃発します...

宅和伊助 江戸時代中期の出雲国神門郡松寄下村(今の島根県出雲市)の庄屋。享保17年(1732)の飢饉に際し、松江藩に年貢減免を訴えるものの、検分前に地元の百姓が稲を刈り取ってしまったことから斬首獄門となる。nbsp;

宅和伊助翁神霊碑(宅和伊助と神門郡強訴)
享保17年(1732)、出雲国神門郡松寄下村庄屋・伊助と荒木村庄屋・源左衛門(いずれも今の島根県出雲市)は、蝗害による年...

田坂市良右衛門 江戸時代末期の周防国玖珂郡玖珂村(今の山口県岩国市)の人で、大年寄格の田坂家の三男。玖珂代官の奢侈を諌めて遠島となったが、藩家老への村民の訴えにより赦され、後に刀祢に任じられて善政を敷く。 

義民田坂市良右衛門碑(田坂市良右衛門の義民伝承)
江戸時代末期の安政年間、岩国藩領の周防国(今の山口県)玖珂郡では、代官が会所に客人を集め贅沢にふけっていました。代官を諌...

多田加助 江戸時代前期の信濃国安曇郡中萱村(今の長野県安曇野市)の元庄屋。貞享3年(1686)、松本藩の郡奉行に年貢減免を愁訴しようとして1万人規模の一揆に発展した「貞享騒動」の頭取として磔に処せられ、家族も連座した。 

貞享義民社(多田加助と貞享騒動)
貞享3年(1686)、信濃国安曇郡中萱村(今の長野県安曇野市)元庄屋・多田加助は年貢減免を求めて郡奉行に越訴しますが、こ...

田頭庄右衛門 江戸時代中期の伊予国越智郡下弓削村(今の愛媛県越智郡上島町)組頭。宝永5年(1708)、災害を理由に年貢減免を庄屋に願い出るも、今治藩の郡奉行らに捕らえられ、斬首獄門に処せられた。 

庄右衛門堂(田頭庄右衛門と土生騒動)
江戸時代、伊予国越智郡の弓削島(今の愛媛県越智郡上島町)は今治藩が支配していましたが、宝永5年(1708)以降、災害を理...

田辺小兵衛 江戸時代前期の越後国蒲原郡馬堀村(今の新潟県新潟市)名主。旱魃に悩む村のため、全長4kmにわたる馬堀用水を完成させるが、独断で工事を行ったとして打首になったという伝説をもつ。 

長恩院石塔(田辺小兵衛の義民伝承)
正保2年(1645)、越後国蒲原郡馬堀村(今の新潟県新潟市)庄屋・田辺小兵衛は、干魃に悩む村人のために「馬堀用水路」を開...

土川平兵衛 江戸時代後期の近江国野洲郡三上村(今の滋賀県野洲市)庄屋。幕府の不当な検地に対抗して天保13年(1842)に起きた「三上騒動」の発頭人となり、検地役人から「十万日日延べ」証文を勝ち取るも、捕えられて牢死した。 

保民祠(土川平兵衛と近江天保一揆)
天保13年(1842)、幕府による検地の不正に憤慨した近江国甲賀・野洲・栗太3郡の百姓4万人が蜂起する「近江天保一揆」が...

照山修理 常陸国多賀郡金沢村(今の茨城県日立市)の庄屋。水戸藩の寛永検地に反対して強訴を行い、寛永18年(1641)に弟、次男とともに磔刑に処せられる。この一件を受けて藩は検地の際に意図的に縄延びさせて百姓の負担を軽くしたという。村人たちが報恩感謝の意を込めて年3回行う念仏供養は「修理念仏」と呼ばれる。 

照山修理の墓(照山修理と検地反対強訴)
寛永18年(1641)、常陸国多賀郡金沢村(今の茨城県日立市)庄屋・照山修理しゅりは、水戸藩の寛永検地に反対して強訴に及...

天保義⺠ 天保9年(1838)、凶作を理由に年貢米の再見立てを奉行に求めた一件で入牢となった加賀国石川郡西念新保・南新保・下安江各村(いずれも今の石川県金沢市)の肝煎ら15人をいう。明治時代に金沢駅付近に勝海舟揮毫による「天保義民之碑」が建てられた。 

天保義民之碑(天保義民と見立て願出事件)
天保9年(1838)、加賀国石川郡(今の石川県)・越中国砺波郡(今の富山県)の肝煎らが凶作を理由に秋縮御請を拒否し、奉行...

当代屋与次兵衛 江戸時代後期の能登国鳳志(ふげし)郡河井町(今の石川県輪島市)の頭振(無高百姓)。米価高騰に起因する安政5年(1858)の輪島騒動の頭取として捕らえられ、他の2人とともに獄門に処せられた。「虎」を通称し任侠の気質をもつ博徒だったと伝わる。 

義人を祀る霊地(当代屋与次兵衛と輪島騒動)
安政5年(1858)、米価高騰を受けて能登国輪島町(今の石川県輪島市)の米屋や役人宅が打ちこわされる「輪島騒動」が起こり...

栂野彦八 江戸時代後期の越中国婦負郡四方(よかた)町(今の富山県富山市)年寄。行商の禁止で疲弊する漁民を救うため郡奉行に嘆願するも受け入れられず、屋敷内で切腹して果てる。これを契機に禁令が解かれたため、町民らは石像を造って都賀比古神社に祀り、現在は四方神社に合祀されている。 

栂野彦八顕彰碑(栂野彦八の義民伝承)
文化3年(1806)、越中国婦負郡四方町(今の富山県富山市)の町年寄・栂野彦八は、漁民による行商を禁じた郡奉行を諫めるた...

徳永徳右衛門 江戸時代中期の備後国安那郡徳田村(今の広島県福山市)の庄屋。天明6年(1786)から翌年にかけての福山藩の全藩一揆「天明一揆」において藩との交渉役を果たし、百姓側の犠牲なしに要求を認めさせた。 

素盞嗚神社(徳永徳右衛門と福山藩天明一揆)
天明6年(1786)、備後国(今の広島県)福山藩領では、地方巧者・遠藤弁蔵の重税路線に耐えかねた百姓が蜂起し、年末にいっ...

戸塚村善兵衛 江戸中期の陸奥国白川郡戸塚村(今の福島県東白川郡矢祭町)の長百姓。寛延2年(1749)から翌年にかけて、年貢延納や金米借用を塙代官所に強訴した「戸塚騒動」の頭取として獄門となった。戸塚正観音堂境内に墓と徳富蘇峰撰文の義民弔魂碑が残る。 

戸塚義民の墓(戸塚村善兵衛と戸塚騒動)
寛延2年(1749)、陸奥国白川郡戸塚村(今の福島県東白川郡矢祭町)では2年続きの不作で百姓が困窮し、塙代官所に年貢延納...

富川村彦治 江戸時代初期の近江国栗太郡富川村(今の滋賀県大津市)庄屋。山越えの人馬に重税を掛けていた膳所藩の悪政を幕府巡見使に直訴して廃止させたものの、弟の源吾とともに佐馬野峠(関津峠)で磔刑に処せられたという。 

大石義民の碑(庄屋彦治と富川村越訴)
慶長18年(1613)、膳所藩の重税に悩む近江国粟太郡富川村(今の滋賀県大津市)庄屋・彦治と弟の源吾は、鈴鹿峠を通る幕府...

冨田才治 江戸時代中期の肥前国松浦郡平原村(今の佐賀県唐津市)の大庄屋。唐津藩の年貢増徴に反発した領民が蜂起した明和8年(1771)の「虹の松原一揆」を主導し要求を実現したが、頭取として斬首の上晒し首となった。 

冨田才治碑(冨田才治と虹の松原一揆)
明和8年(1771)、唐津藩の農漁民2万5千人が天領との境界にあたる虹の松原に集結し、新税撤回などを要求する「虹の松原一...

友野与右衛門 江戸時代前期の江戸浅草の商人で、芦ノ湖から箱根山を打ち抜き駿河国駿東郡深良村(今の静岡県駿東郡裾野町)まで延びる全長1,280mのトンネル「深良用水(箱根用水)」開削の元締となった。用水は寛文10年(1670)に通水したものの、その後幕府と対立し打首になったとも伝わる。駿東地方を灌漑した功績により芦ノ湖水神社の祭神として祀られる。 

芦ノ湖水神社(友野与右衛門の義民伝承)
駿河国駿東郡深良村(今の静岡県裾野市)周辺の村々では水不足が続いていたため、元締・友野与右衛門らの指導のもと、芦ノ湖を水...

戸谷新右衛門 江戸時代中期の紀伊国伊都郡島野村(今の和歌山県橋本市と伝わる)の庄屋。享保5年(1720)、高野山領における年貢徴収の不正を幕府に直訴し、帰村後に捕らえられて高野山奥の院で石子詰めの極刑を受けたという。 

戸谷新右衛門の墓地(戸谷新右衛門と高野枡一揆)
享保5年(1720)、紀伊国伊都郡(今の和歌山県)高野山領の年貢の不正徴収に関連して、島野村庄屋・戸谷新右衛門が幕府に越...
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義民のあしあと